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悲しみはいつまでも☆ [ペット]

8月に入って、暑さも本番と言った所でしょうか。
8月と言ったら、地方ではお盆ですね。
Kenが旅立ってから、今月の7日で8ヶ月。
東京では、お盆は7月なので先月Kenの新盆をすませました。

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Kenがいなくなった寂しさを文で紛らわしている訳ではない・・・・と思いながらも、やっぱり文がいてくれる事で、Kenがいなくなった寂しさを埋めてもらっているんですよね。(- -)

Kenが亡くなって、ペットロスになるかと思っていましたが、案外私は元気。
と言っても、ペットロスって実際とういうのがペットロスなのか、私にはよくわかりませんが、Kenが亡くなってから、確かに毎日泣いてました。
外へ出る事も、人と会話する事も何もする気にはなれませんでしたが、でも私は主婦。
家族の為にやらなくては行けない事がありますから、そういう使命感的な事で普通に行動出来ていたのかわかりませんが、泣く事以外は本当に普通に過ごしていました。

涙だけは、どうしても止める事出来なかったんです。
初めの頃は、ただKenが旅立ってしまった事の悲しさで泣いていましたが、そのうち「何で急に体調がおかしくなったのかな」とか「Kenが旅立ったのは自分のせいだ」とか色んな事が頭のなかに浮かんで来て、そんな自分への責任からKenに申し訳なかったという思いで泣けて来たり・・・・

文が、我が家の家族になってからは、日々の忙しさで日中泣く事はなくなりましたが、夜Kenのデジタルフォトフレームに現れるKenの姿を見ていると、Kenの思い出話をしては涙。

だけど、後は普通に生活出来ていたんです。

だから、ペットロスになられている方の様な感じではない自分に、ちょっと疑問も感じていました。
「私って、結構クールなのかなぁ〜」なんて思っていました。(^^;)


でも、最近・・・・

前とは変わった事があるんです。

それは、犬に関する本が読めない。
犬のお話には、感動的な話とか感謝の話とか色々あります。
今までは、「この話は、泣けちゃうよね。」と思っても、涙流しながらも読めていたんです。
でも、今は・・・・

先日、本屋さんで本探しをしていた時、「一分間だけ」と言う本が目に入りました。
これは、犬のお話。
映画化もされた様です。
犬は大好きですから、犬に関する本はすぐ手にしてしまうんです。
いつもの様に、その「一分間だけ」の本を手にして、後ろに書かれているあらすじに目を通しました。
その時、私の頭の中にKenの亡くなる瞬間の映像が甦って来ました。
そして、私の目からは涙が溢れ出て来て・・・・
止めようと思っても止められず、周りの方々に気付かれない様にするのに必死。

その本のあらすじには、別にわんちゃんが亡くなった様な事は一言も書いていないんです。
でも、亡くなった事はわかるんですけど・・・・
亡くなり方とか育った環境など、何一つKenと重なる事などないのに・・・・不思議ですね。

Kenの亡くなる瞬間に立ち会ったと言うか、私は命あるものの最期を目の当たりにしたのは生まれて初めてだったんです。
父が亡くなった時は、駆けつけた時既に息を引き取った後でしたから。

大切な存在が、自分の元を離れて行ってしまう事の悲しさは解っていたつもりでしたが、でもやっぱりわかっていなかったんですね。
目の前で実際に
その瞬間を体験するのと、頭の中での理解は。
だから、知識のなかの悲しさと実際の悲しさの違いが解った今は、人の話でももう本は読めない。

全然普通と思っていた私。
でも、違っていたんですね。
心のダメージ、自分では「平気」と思っていても、人間の五感は正直ですね。


あぁ〜
そう言えば、Kenが亡くなった時、お散歩でたまにお目にかかる方と出会い、Kenを連れていない私を不思議に思い声をかけて下さったんです。
その方も以前飼っていたわんちゃんを亡くした経験があって、その時の事を話して下さったんですけど、やはりわんちゃんを亡くして悲しかった人は確かだったんですが、ペットロスと言う事にはならなかったんだそうです。
でも、ある日お友達とランチの約束をしていて、待ち合わせの場所に向かう電車に乗っていた時、窓の外にあるお宅の二階のベランダで遊んでいるわんちゃんを見かけたそう。
そのわんちゃんを見た瞬間、突然涙が溢れ出て止まらない。
そのうち嗚咽をするくらい泣けて泣けてどうにもならず、途中で電車を降りたそうです。
あまりに泣けて、顔は人に会える状態でなくなってしまったので、お友達に事情を話約束をキャンセルして家に帰って来たそうです。

私が、「ベランダに居たわんちゃんは、以前飼っていらっしゃったわんちゃんに似ていたんですか?」って聞いたら、似ているとかいないとかではなく犬種も全然違うわんちゃんだったらしいです。

でも、きっと見も知らない電車の車窓から見たそのわんちゃんの動きに、自分でも気付かない何かが自分の亡くなった子に重なってしまったのかもしれませんね。(- -)

ずっと家族として生活を共にしてきたのですから、亡くなっても平気でいるはずがないのですよね。
自分が大切に守って来たのですから。
悲しみは癒える事なく、永久に・・・・です。(- -)

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きなこもち

ちょっと複雑な思いで読ませていただきました。
私は…父が亡くなった時に…ちょっとそうでした。
年齢もまだ亡くなる歳ではなかったですし…
病気も死ぬような病気ではなかったので…
え?なんで?っていう間にいなくなってしまって。

うちは姉と私一回り歳が離れていて私…父に溺愛(笑)
されて育ったので…
でも…少し経つと普通にご飯食べる自分がいて…
そんな自分にイライラした事もあります。
その反面何でもない事で…思い出して涙が止まらない
自分もいて…時々今でも気持ちおさえられなくなる時が
あります。
人間もワンちゃんも同じ…家族がいなくなるって…
いない事には慣れてくる!?慣れようとしてくるかも知れませんが
悲しみは癒える事なく、永久に・・・・本当にそうだと思います。
悲しいけど…忘れないでいてあげる事が…思い出して話したり
する事が…繋がってるって事なのかなぁっと思います。



by きなこもち (2014-08-04 16:53) 

ナビパ

うちのも10歳を過ぎいろいろと考えるようになってきました。その時のことを考えるだけでもう涙が。。。でも現実にその日は来るわけですよね。時間よ止まれと思ってしまいます。
by ナビパ (2014-08-04 17:41) 

えみまろ

こんばんは。
いつも夜分にコメントして申し訳ありません。

今年の夏はお互い愛犬の初盆ですね。

私は、愛犬マロンが息を引き取った瞬間、正確な時間が解らないんです。ちょっと目を離した隙に逝ってしまいました・・・。
その事を悔やんでるし、長かった介護生活、今思うと本当にこれで良かったんだろうかと思う事は多々あります。
でも、最後まで自宅で看取れて良かった。

今私がブログにマロンの想い出を書いていることも、
本当はどうなんだろう?と思うときがあります。
忘れたくない、忘れてはいけない、
そんな思いです。
by えみまろ (2014-08-05 02:41) 

Mie

きなこもちさん

命ある物との別れに、人間とか動物の区別はないですよね。
長い時間を共に過ごして来たんですから、外見は違っても家族なんですから、その家族を亡くして「平気」であるはずがない。
でも、平気なのか平気じゃないのかっていうのは、時間が経たないと解らない事もあるんでと思います。

大切な存在が、突然目の前から居なくなる・・・・亡くなった事を目の当たりにしても受け入れられず、「平気」なフリが出来るんです。
でも、「平気なふり」をしているということは自分自身でもわかっていないんですけどね。

実は、私の父も突然亡くなったんです。
亡くなる10年くらい前に腎臓を片方取っていましたが、定期検診をして普通に暮らしていました。
ある日、母から病院に居ると言う電話が来て、先生が家族の人を呼ぶ様にと言われたというんです。
もう長くないと言われ、それから間もなくなくなったんですが、悲しいのにタンタンと葬儀の準備をする自分がとても不思議でした。

父は、仕事の関係で長い間単身赴任をしていたので、父の居ない生活になんの不自然さを感じていないというのが原因なんだと思います。
亡くなって今年でまる6年。
お墓参りは、多分家族の中で一番行ってると思います。
でも、父が亡くなった自覚はありません。
私の心の中では、未だに父は単身赴任中。
亡くなった感覚はないです。

でも、泣くんです。
時々・・・・
父似してあげられなかった事を後悔して。

大好きなお父様が亡くなっても、ご飯を食べてたっていいんですよ。
亡くなった人を忘れたって良いんです。

人間て、自然と思い出す様に出来ている様に思います。
私も、父が亡くなってもタンタンとしていましたが、時々泣きます。

大切な人が亡くなった事の悲しみ方は、人それぞれ。
こうでなくちゃなんてパターンはありませんよ。

と、今回Kenの事で思いました。

亡くなった大切な人を、常に思い続けるって事は正直大変だと思います。
忘れてもいいんだと思います。普段は・・・・
でも、何かの時にはしっかり思い出して、思い出話を沢山してあげましょうよ。
それが、供養かと思います。(^^)

ちょっと、長くなってしまってごめんなさい。
こういう話なにると、どうも長くなってしまって・・・・
人と話す事で、自分自身に言い聞かせている所がある物で(笑)


by Mie (2014-08-05 07:46) 

kazumin

今年は新盆だったんですね!
私も愛犬居なくなったらと思うと怖いです(>_<)
今は楽しい思い出を愛犬と残し後悔ないように過ごしていきたいです。
by kazumin (2014-08-05 07:51) 

Mie

ナビバさん

わかります。
私も、Kenを月一で健康診断に病院へ連れて行ってましたが、その都度Kenの状態が悪く、いつ発作が起きてもおかしくないということを知らされながら日々でした。
そんな日々の中で、元気な顔して遊んでいたりする姿を見ていて「いつか居なくなってしまう」って思う事があって、そんな時は体からすぅ〜っと血の気が引いて行ってました。

動物の命って、長さが初めから解っている分、そのタイムリミットが近づいて来ると本当に嫌ですよね。

でも、そんな事を考えて過ごすより、ナミちゃんとビビちゃんとの楽しい思いでを一つでも多く作って下さいね。(^^)


by Mie (2014-08-05 07:55) 

Mie

えみまろさん

いえいえ、いつでもいらして下さい。(^^)

そうですね。
お互い、初盆・新盆ですね。

別れ方は色々あるんだと思いますが・・・・
別れ方は、去るものの意志なのかな・・・・と。
旅立ちの時をしっかり見ていて欲しい。
悲しませたくないから、旅立ちの時の姿は見ないで欲しい。
旅立ちの姿は見て欲しくないけれど、その時はそっと側に居て欲しい。
私は、そう思っています。

犬の十戒の「最期は、側に居て欲しい」と書いてありますが、側への居方も色々ですから、家にひとりぼっちの時に旅立たせる事がなければ、後悔なんてする事ないですよ。

でも、私はKenの旅立ちを止めて上げなかったことをとても後悔というか、Kenは止めたら今も居てくれたのか・・・・今も考えています。
ずっと、生きようと頑張っていたKenを見ていて、その頑張りがとても辛そうで、これ以上頑張ってを言う事は、私のエゴの様に思えたんです。
頑張りきれずに力尽き果て旅立たせたら、Kenが辛いのではないかとか色々頭の中を駆け巡り、出た言葉が「もう良いよ。少し休もうね。」って言葉でした。
その言葉を言った瞬間にKenの力がすぅ〜っと抜けたんです。
あの瞬間は、一生忘れないと思います。
もしかしたら、Kenは私にその言葉を言って欲しかったのかもしれません。


マロンちゃんは、えみまろさんに綺麗な姿だけを心に焼き付けていてほしかったのかもしれませんよ。
それが、えみまろさんがちょっと離れた時に旅立った理由かもしれません。

だから、今えみまろさんがマロンちゃんとの楽しい思いでをブログに書いてくれていることは、マロンちゃんにとって嬉しい事なのかもしれませんし、もしかしたらマロンちゃんがえみまろさんに書かせているのかもしれません。(^^)

とても大切な家族だから、忘れては行けない。
でも、大切な家族という意識があるから忘れても良いのではないか・・・と思ったりもするんです。

人間は、大切な存在が居なくなっても生きて行かなければならない。
亡くなったものの事ばかりを考えていては、前には進めない。
忘れる事は、決して悪い事ではないと思うんです。

でも、時々思い出して思いで話をすればいいんだと思います。
お盆とかに・・・・それが供養になります。(^^)


とは言っても、お互い大切な家族を亡くしたばかり。
急に忘れる事は出来ません。
私は、未だにお骨を納骨出来ず家に置いています。
手放せないんです。(^^;)


でも、今は良いと思っています。
そして、時間の経過とともに忘れる事が不自然ではない時がくるんじゃないかと・・・・


えみまろさん、マロンちゃんの思い出楽しく拝読させて頂いてますよ。(^^)




by Mie (2014-08-05 08:31) 

Mie

kazumiさん

はい。
新盆とかいうと、本当に亡くなったんだなぁ〜って。
長く一緒にいると、「犬」って感覚はなく、本当の子どもの様に思えて来るんですよね。
13年というと、人間では中学一年生。
そんな子どもが、家の中から居なくなるってことなんですよ。
信じられないというか、信じたくない出来事ですよね。
でも、命あるものいつかは別れがくるんですね。
とても、悲しい事ですけれど、だからこそ今の時間を大切に楽しい思いでを沢山作って下さいね。(^^)

by Mie (2014-08-05 08:38) 

レオンのおかん

まさに今、その本読んでます。(併行してみをつくし料理帖1も読んでました。)

いつも電車に乗るときは本を持って行くのですが、初めてこの本を読んだとき、電車の中で・・・。
まずい、この本、涙出そうって・・・。
最初のところで、ちょっとワンちゃんが亡くなるのかなと思わせるくだりがあるんですよね。
電車の中では読まないことにしようかな、思いっきり泣けてきそうで・・・。

by レオンのおかん (2014-08-05 22:39) 

エンジェル

私は何度ワンコを見送ったでしょうか。。。実際に見送ったのは3度です。初めてワンコを見送ったのは7歳の時。血尿の海の中で息を引き取りました。かなりの衝撃を受けました。その子は私が記憶に残っている本当に最初の愛犬でした。迷い犬で一緒に生活したのは一年もなかったかも。まだ子供だったのでペットロスにはなりませんでしたが。。。
一番辛かったのは結婚して初めて飼ったシェルティーの死。その子は介護をする事もなく突然旅立って行きました。その時初めてペットロス状態になり、夜になると涙が出て来て本当に辛かったです。1年位続いたでしょうか。。。Mシュナのルビーは3ヶ月間の介護生活の末に亡くなりました。もちろん悲しかったけど、ある程度覚悟が出来ていたし、十分にお世話が出来たと言う気持ちがあったので反って清々しい思いもありました。
ワンコ達はいつまでも心の中に生きているので悲しむだけが愛情じゃないと思います。ワンコ達との思い出と共に生きて行く事が供養になると思っています。
by エンジェル (2014-08-06 00:15) 

ジュピーのブログ

すべては時間  よ~~ドンで生まれ よ~~ドンで死ねば
何の感情も、時間のずれにより喜びも悲しみも・・・

とは故、悲しい思い出は色あせず残ります。
これが人間なんですね~~


by ジュピーのブログ (2014-08-06 01:26) 

Mie

レオンのおかんさん

何と言う偶然なんでしょう。
おかんさんは、「一分間だけ」を今読んでいらっしゃるんですね。(@o@)
もう「一分間だけ」とタイトルで十分内容が見えて来ますよね。
私は、Kenのなくなるその瞬間の数分の出来事というか、自分の中での様々な思いが駆け巡った事を思い出してしまうんです。

今は、本の内容はどあであれ、「大切な家族が亡くなる」ということだけで、耐えられない気持になって泣けて来てしまいます。(- -)

そうですね。
多分、この本は泣く事間違い無し。
電車で読まれるのは・・・・

私のお散歩でお会いする方と同じで、人にお会い出来なくなってしまうおそれがありますから御注意を!!(^^;)

by Mie (2014-08-06 21:30) 

Mie

エンジェルさん

エンジェルさんも、小さい頃から犬との生活を経験されていたのですね。(^^)
私も、小さい頃から家には犬がいて、私が家を出るまで5頭家で買っていました。
ですから、別れはそれなりにあったわけですが、母は生き物の最期を決して見せない人だったので、私が動物の最期をしっかりこの目で見たのは、Kenが初めてだったんです。
それも、最初から最後まで自分の手で面倒見たって言うのもKenが初めて。
簡単に忘れる事はできませんし、というか手放せない。(^^;)

私が、自分でも意外な程普段平気で居られるのは、多分Kenのお骨が側にあるからかもしれません。

でも、本当は平気じゃないんです。
というか平気じゃなかった。
今は、自分の中にあるKenの突然の死の原因を自分自身で納得行くまで
追究なければ、多分Kenを本当に見送る事が出来ない様に思います。

Kenとの思い出を、純粋に考えられるまでには少し時間がかかりそうです。

でも、みなさんも色々苦しまれているんですよね。(- -)

by Mie (2014-08-06 21:52) 

Mie

ジュピーのパパさん

感情は、必ずしもタイムリーでやって来るものではないんですね。
確かに、その時には嬉しいとか悲しいという気持はあったとしても、本当の気持ってその後じわぁ〜ってやってくね。

今回の場合は、「あぁ〜悲しい」ってはっきりした感情というより、もっと深いものが出てきたと言った感じでした。
こんな事ってあるんだと、ちょっと自分自身びっくり。

「悲しい思い出は、色あせず残る」
本当にそうですね。
若い時には、考えた事もない事が年齢とともに理解出来る事が多くなって来て、本当に辛いですね。(- -)

by Mie (2014-08-06 22:03) 

小梅姉

わかります。
私は、小梅にごめんね・・・って、今でも思っています。
おそらく、生涯つづく気持ちかと。
私の寿命がわけれるのであれば、小梅にわけたい!!って
大真面目に思ったものです。
今、舞凛との暮らしがあるのは、小梅がいてくれたからなんだって
思う日々です。

by 小梅姉 (2014-08-07 08:20) 

くまんご

分かります。いろいろと…
先日ブログで紹介した本に、昔はロスも知られておらず、犬をなくして自死した人もいてまわりから理解されずらかったとあり
無理もないというのと、いまはペットロスという言葉が浸透してきてまだ心強いなと思いました
さいごのKenくんのお写真みるだけで 涙でます というか泣いてます。。
だから今まではペット本の前通ると避けてたのに
自分でもなぜ読めたか謎です。そのかわり衝撃半端なかった。。
by くまんご (2014-08-07 18:46) 

Mie

小梅姉さん

上手く言えないんですけど、犬は自分の気持を言葉して言えないじゃないですか。
だから、私達はいつも相手がこう思っている「だろう」というだろう判断で接してきたわけです。
そうせいなんでしょうか・・・・
亡くなった悲しみの後ろに大きな「後悔」みたいなものがあるんですよね。
「本当は、こうだったのかもしれない」と思うと、自分の判断にあやまりがあったのではないか。
とか、何も言えない相手に甘えていたのは自分だったのではないか。
時が経つにつれて、そんな思いは大きくなります。

本当に小梅姉さんがおっしゃる通り「ごめんね」がいつも心の中にありますね。(- -)

そうなんですよね。
旅立った犬の後にまた新しい家族を迎えたいと思う気持が芽生えたのも、Kenと言う犬に出会って、犬との生活の楽しさを教えてもらったから。

沢山教えてもらってばかりで、人間は何もしてあげられないダメない生き物ですね。(^^;)


by Mie (2014-08-08 18:36) 

Mie

くまんごさん

ペットロス・・・
動物を飼った事のない方には信じられない現象だと思います。
ペットロスという言葉が無かった頃は、ペットロスになっていた本人だって、まさかペットがなくなった事によって、精神的な障害がでるなんて誰も思っていなかったと思います。

昔は、犬を家の中で一緒に生活を共にする事はなかったですから、亡くなって悲しい気持ちはあっても、元々も動物と人間との間に一線を引いていたわけですから、ロスにはならなかったんでしょうね。

でも、生活を共にするということは、外見は違ってもちゃんとした家族なんですよね。
家族というカテゴリーで捕えたら、家族がなくなって悲しくない人なんていません。
大切な家族を亡くしたら、普通の精神状態でいられるわけもなく、ましてや言葉の話せない動物は子どもの様ですから、その辛さは大きいです。

ある意味、「ペットロス」と言う言葉が浸透されてきて良かったですよね。

ペットロスの形も色々あると思いますが、自死までされていまうなんて、本当に掛け替えの無い子だったんですね。

私は、自分がペットロスまでにはなっていないと思っていたんですが、
振り返って、自分の行動や言動を考えると、やっぱりどこかおかしな事をやっていた事に気付きます。
今回も、本見ただけでボロボロ泣く私は、やっぱりどこか普通じゃないんだって思いました。

でも、Kenを思い出さなければというか、人の話として読むならもしかしたら読めたかもしれませんが・・・・
でも、ボロボロに泣きますね。(^^;)

by Mie (2014-08-08 18:56) 

ピュアリン

悲しみはいつまでも続くというお気持ち わかる気がします。
時間が経つほど 違った形の悲しさに変わって行く
そんな気がします。

ただ いつまでもそのことだけで生活は出来ないし・・・
文ちゃんがおうちに来たことによって 楽しさも増え
でも ふと 文ちゃんの姿が Ken君に重なって
Ken君の居ない寂しさが押し寄せて来る

でもこんなにMieさんに愛されたKen君は
とっても幸せですよ

私は 題名だけで 自信がなく読めない本があります。
絶対この本泣きそうとか思うと
私の悪い癖で すり抜けてしまいます
目に入れないようにしてしまうんです。

Mieさんは ちゃんと向かい合ってるからすごいなって
思います。

私は 自分の気持ちに素直になって 悲し時は泣き
うれしいときは喜び 考えたいときは考え
何も思いたくないときは 思わない
ナチュラルに生きて生きたいなって思ってます。
by ピュアリン (2014-08-10 10:02) 

Mie

ピュアリンさん

本当に、悲しみは時間とともに深まって行くものです。
でも、その事に縛られてしまってはいけないんですけど・・・・
まだまだ無理なんですよね。(^^;)

私は、嫌な事に目を反らす事もできませんが、だからと言って何にでも前向きに行く訳でもなく、考えたくない時は考えない。
結構いい加減な性格なんです。
が、Kenの事は考えようとか考えたくないではなく、何でもない時にでもスゥーっと入って来てしまうんです。(^^;)

それが、私自身が気付かない自分の本当の気持なんでしょうね。(^^)

私も、ナチュラルに生きて行きたいです。(^^)



by Mie (2014-08-10 14:13) 

ふゆもえ

訪問が遅れてすみませんでした。
コメントもどうもありがとうございます。
私のブログのお返事に書き忘れたので、ここに
書かせて頂きます、ごめんなさい。
ペットロス、私そうかもしれません。
勤務時間を交替して貰い、皆に迷惑かけて申し訳ないなぁと
思いながらの帰宅途中、車の中で「こういう時、泣いてる時、
いつもえるもは傍でじっと寄り添ってくれたっけ」と
思い出してしまい号泣してしまいました。
(車を路肩に止めましたよ)
いなくなってもう半年以上経ったのにね。
羊毛フェルトでチクチクしてもちっとも似ない!と思うのは
やっぱり本物じゃないからです。
悲しみが癒える事はないけれど、いつかは乗り越えないと
いけません。大きくて難しい宿題ですね。
by ふゆもえ (2014-08-15 18:00) 

Mie

ふゆもえさん

コメント、ありがとうございます。
羊毛フェルトで、えるもちゃんを幾つも作っても満足いかない・・・・
それは、本物じゃないから。
その気持、良くわかります。
私が、文の毛色を白黒にしたのも、それです。
新しい家族を探して色んなシーズーを見ていてもなかなか満足出来ない。
フッと、気付いた時、それは新しい家族を探しているのではなく、正にKenを探していたからなんです。
それに気付いて、シーズーの毛色をKenとは全く違う色にしたんです。
長い月日を共に過ごしてきたのですから、すぐには忘れられないし、平静な気持でえるもちゃんを思い出せる様になるまでには幾つもの山を越えなくては行けないと思います。
でも、思うんです。
亡くなった犬を探し求めている自分に気付いたってことは、数ある山の一つをクリアしたんじゃないかと。

特に、ふゆもえさんはえるもちゃんの介護を一生懸命やって来た分、えるもちゃんの存在感はかなり大きいと思います。
でも、悲しみから逃げる事は出来ないので、沢山悲しみながら少しずつ大切な家族が居なくなってしまった事に慣れて行くしかないんですよね。
悲しくなったら我慢せず泣きましょうよ。
私、泣いてますよ。
泣いて「あぁ〜、私まだまだダメなんだなぁ〜」なんて自覚して、「でも、しかたないのよ」って自分に言い聞かせています。

ふゆもえさんも、無理したり我慢したりするのやめましょうよ。
辛い時は、ブログに気持書いていいと思います。(^^)

by Mie (2014-08-17 08:51) 

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